認知症介護で大切な3つのPOINT
認知症介護で最も大切なポイントは、以下の3つです。
- 絆 ・・ つながりを持って生きることができる
- 自律 ・・ 自分のことは自分で決める
- 自立 ・・ 自分のことは自分でする
この3つのポイントが満たされていれば、介護する側も介護される側も生きる希望をもって過ごすことができます。
絆
”絆” とは、以下の4つのつながりのことです。
① 他者とのつながり・・尊重し合える人のつながりがある
② ものとのつながり・・環境やものと適切に向き合うことができる
③ 時間とのつながり・・時間の流れの中の自分をとらえることができる
④ 自分自身とのつながり・・ありのままの自分を認め、自信を持って生きることができる
他者とのつながり
他者とのつながりは、仲の良い友達との関係を想像するとわかります。
「おはよう!昨日テレビ見た?あの番組おもしろかったよね」
このようなつながりの中に、上下関係はありません。
しかし、認知症になったとたん「あの人はおかしな人」というレッテルを張られ、もはや同じ目線に立つことができなくなってしまっています。認知症への偏見も、世の中には根強いものがあります。
国際アルツハイマー病協会が世界的に行った調査では、認知症の家族を看ていることを隠した割合は35%であることが報告されています。世界的に見ても、「認知症である」ということを良くないこと・恥ずかしいことととらえている風潮がうかがえます。
偏見や差別とはっきりわかるものでなくても、介護する側⇔介護される側という上下関係も知らず知らずのうちに生まれてしまっています。すでに対等な立場でなくなっていることさえ、私たちは気づくのは難しいものです。介護されるだけの立場に立つと、「自分はこうしてほしい」という思いも簡単に言いにくくなります。
対等な関係は当たり前すぎて私たちは意識することもありませんが、認知症の方々はこのようなつながりを失うことを非常に辛く感じられています。
また、認知症になると自分の置かれている状況や相手の気持ちを察することが難しくなります(社会的認知の障害)。
普段、相手が起こった顔をしていると
「何かあったのかな?何か怒らせるようなことしたかな?今は声をかけないでおこう」
と空気を読みますよね。
しかし、認知症になると空気を読むことが難しくなります。その結果、相手が怒っていてもかまわずに怒りをぶつけてしまったりします。
また、ガスの火を消し忘れ、鍋がこげていても「どうしたの?」と落ち着いた様子でいることもあり、家族はつい「何やってるの!焦げてるじゃない!」と怒ってしまうこともあるでしょう。これも状況を理解しにくくなっていることで、場にそぐわない態度をとってしまっていること(病態失認的態度)が原因です。そのような態度をとられると、家族はついイライラしてしまいます。
このようなことが続くと、これまで作られてきた大切な家族との関係も傷つけられていきます。しかもうまくいかない原因を本人ははっきりと気づくことができません。ただ「自分の何かがまわりを困らせている」と漠然とわかるだけです。
このように、認知症はまわりの人とのつながりも傷つけるのです。
V・E・フランクルというアウシュビッツ強制収容所に収容された体験を持つ心理学者は「意味は外部にある」という言葉を残しています。わかりやすく言えば、「人生の意味は自分だけで完結するものではなく、常に周囲の人、社会との関係から生まれる」(「養老孟司著・「バカの壁」より)ということです。
他者とのつながりを持つことは、生きる意味につながります。また、他者とのつながりの中で自分自身とのつながりやものとのつながりも確かなものになっていきます。
生きる意味やいきがいは、周囲とのつながりがないと失われる
これは意外に見落とされている、認知症の方々を理解するうえで大切なポイントです。
認知症の方々と関わる際は、まわりの方々とのつながりを保てるような支援が必要です。
例えば、病気のせいで空気を読むことが難しくなっていると知るだけでも、介護されている方は気持ちが楽になるかもしれません。また「ご飯まだ?」と繰り返し質問される方も、記憶が保てないので初めてのつもりで尋ねていること・繰り返しの質問は不安のサインだということを知っていれば、怒りは本人ではなく病気の方へ向けることができるかもしれません。
ものとのつながり
ものとのつながりは、道具や環境になじめなくなることです。
道具になじめないとは、服を着るにはどうしたらいいかわからなくなったり、財布の置き場所がわからくなったりすることを指します。
また、環境になじめないとは、ここがどこなのかわからなくなったり、初めての場所で混乱してしまったりすることを指します。目的を持って出かけても、今いる場所がわからなくなり警察に保護してもらうこともあります。
認知症がない方々にとっては、ものとのつながりを失うことはないため、どのくらい不安になることか想像しにくいと思います。ただ、ものとのつながりは、水や空気と同じように当たり前ではありますが、生きる上で必要不可欠です。これまで当たり前に確かなものとのつながりを感じてきた私たちにとって、それが不確かなものになることは、想像以上に大きな不安を伴います。
ものとのつながりは、介護する側の気遣いで支援することができます。
たとえば、身近な例ではトイレの場所に分かりやすく目印・矢印をつけることや、タンスに「下着」「ズボン」などラベルを貼るなど。着替えるときに自分一人ではうまくいかなくても、介護される方が一枚ずつ渡してあげたり、着る向きに整えて渡してあげたりすることでスムーズに着替えることができることもあります。
時間とのつながり
認知症 特にアルツハイマー型認知症になると、新しい記憶から失われていきます。すると体は現在にいるのに、心は過去に戻ってしまっていることがあります。
たとえば実際の年齢は85歳なのに、40歳までの記憶が失われると、その方の頭の中は40歳です。孫がいることを聞かされると戸惑われる方も多くいらっしゃいます。また自分の顔のしわや白髪を見て驚かれる方も少なくありません。
たとえば、あなたがふと鏡を見て、自分が思うよりもずっとしわと白髪が多くなっていたらどうでしょう?
また、生きていると思っていた両親が、とうに亡くなっていることを聞かされたらどうでしょう?
心の基盤そのものが揺らぐのも無理はありません。
認知症の方と関わる際は、その方の中に流れている時間を尊重し、たとえ現実と違っていても訂正しないで見守りましょう。
自分とのつながり
認知症は進行します。自分でできていたことがどんどんできなくなっていき、それがなぜなのか自分では気付くことができません。
認知症の語り部であるクリスティーン・ブライデンさんは、「濃い霧の中にいるようだ」と述べています。そして原因かわからず何もかもうまくいかなくなっていくことに「自分は誰になっていくの?」と大きな不安を本の中で述べられています。
生きる基盤である ① 他者とのつながり ② ものとのつながり ③ 時間とのつながりが失われていくと、これまで築き上げてきた自分が揺らいでいきます。
「自分はこんなにできない人間だったのか?」
「家族を怒らせてばかり。でも、どうしてなのかわからない。自分はどうしてしまったのか?」
このように、これまでの自分が崩れていく感覚に襲われ、大きな不安を伴います。また、これから自分はどうなってしまうのか恐ろしくなります。
種智院大学教授 小澤勲氏は次のように述べています。
「老年期に特異な問題は、最も適応力が衰えた時期に、最も厳しい適応が要求されるところにある。」
歳をとり困難を乗り越える力が最も低下した時、認知症とともに生きるというこれまでにない困難が襲ってきます。
この困難は、たったひとりで乗り越えることは不可能です。
何かしてあげなくても、その生きづらさをわかろうとしてくれる人が近くにいたなら、あるいは小さな生きる希望が生まれるかもしれません。
その人に寄り添うこと これこそ、つながりを失わないために一番大切なことだと私は思います。
自律
自律とは、自分のことは自分で決めることです。
認知症になったとたん「何もわからなくなっているので自分で決めることなんてできない」と思われてしまい、認知症の方の意思・気持ちがくみ取られにくくなってしまいます。
認知症が重度となっても、選ぶ能力は保たれやすいと言われています。
支援があれば、さらに多くのことを自分で決めることができます。
「お茶と紅茶、どちらにしましょうか??」
このような一言で、認知症の方々に、選ぶ自由をもってもらうことができます。
2つのうち1つを選ぶ質問なら、認知症が重度となっても選びやすいです。
認知症の方に尋ねずに良かれと思ってカーテンを開けたり、電気を消したりしていませんか??
暮らしの中で
- カーテンを開けるかどうか
- 布団をかけるかどうか
- 電気を消すかどうか ・・etc
このような小さなことでも、選んでいただくことが大切です。
ぜひこのような、認知症の方にとって選んでいただきやすい聞き方をして、認知症の方々に好きな方を選んでいただいてくださいね。
質問の際は、ゆっくり聞き取りやすく声掛けをすれば、質問が伝わりやすくなります。
自律のポイント
- 選びやすい聞き方をする
- 小さなことでも選んでもらう
ぜひ今日から、たくさんたくさん選んでいただいてくださいね!
自立
自立とは、自分のことは自分ですることです。
「認知症になってしまったら、自分でできることなんてほとんどないよ」
とおっしゃる方もいらっしゃるかと思います。
ただ、できないことに目が行きすぎて、できることに気づかなくなってはいないでしょうか。
認知症になっても、できることはたくさんあります。
例えば、記憶障害が重度となっても、長年やってきた野菜の下ごしらえは上手にできるかもしれません。
着物の着付けも、上手にできるかもしれません。
トイレのズボンを上げるときも、膝の高さからなら自分でできるかもしれません。
いわゆる昔取った杵柄は、認知症の方々にとって本領を発揮できる活動です。
どんなに認知症が進んでも、自分でできることは絶対にあります。
自分だけでできなくても、ほんの少しのお手伝いがあれば、できることはもっとたくさんあります。
自分でできることを代わりにやってあげることは一見優しい介護に見えても、本人の自信と能力を奪い、本当にできない人にしてしまいます。
ぜひ時間がかかっても、自分のことは自分でするお手伝いをしてください。
できないときは、必要なところだけを手伝ってください。
そうすれば、きっと今まで以上に素敵な笑顔が見られるようになると思います。
参考になれば嬉しいです。
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