あなたの大切な方の介護、毎日本当にお疲れ様です。
「今日は何月何日ですか?」
「私のこと覚えてる?」
認知症の方へ何気なくこのような質問をしている方をあなたは見たことはありませんか??
認知症の方へのこのような質問は、NGです。
NGな理由を以下にお話しします。
※以下の記事は、私個人の見解を含みます。
・・今日のポイント・・
・認知症の方々の知られざる必死の努力
・抜け落ちた記憶をテストされる苦痛
・覚えていないことはこちらから教えましょう
認知症の方々の知られざる必死の努力
認知症となられた方々に
「今日は何月何日ですか?」
と尋ねると
「今日は新聞見てきてないから」
「あなたが知ってるんでしょ」
など、答えなくてすむようにかわされる場面を見かけます。
これは一般的に取り繕い反応と呼ばれています。
ではなぜ認知症の方々はこのようにはぐらかすのでしょうか??
認知症の方々は自分が忘れていることに気づいていて、強い不安をお持ちです。
自分が忘れていることを他人に気づかれまいと常に必死の努力をされているから、このようにはぐらかすのです。
・・でも、
「認知症なのだから、自分が忘れていることには気づいていないのでは??」
というご意見もあるかと思います。
たしかに、認知症になると自分が記憶を失っていること自体が自分では気付けなくなります。
これをメタ記憶の障害と言います。
(メタ記憶:ある内容が、自分の記憶のなかにあるかどうかという知識のこと wikipedia「メタ記憶」より)
しかし、認知症の方々は、自分の言動に対する周囲の困った顔や怒った顔を見ることを通して
「自分の何か(もの忘れなど)がまわりを困らせているのではないか」
とはっきりと感じています。
失った記憶を自分で直接気付くことはできませんが、周囲の表情やリアクションを通して
「自分のもの忘れなどが周りに迷惑をかけているのではないか」
と間接的に感じ取り、周囲に気付かれないように必死に努力されているのです。
抜け落ちた記憶をテストされる苦痛
医療・介護現場で働くスタッフであれば、長谷川式スケール(改定長谷川式簡易知能評価スケール:HDS-R)を使って認知機能の検査したことがあると思います。
私も何気なく頻繁に検査をしていました。
ただ、このテストをされる高齢者の方々はどんなお気持ちか考えたことがあるでしょうか??
・・以下 書籍「老いの心と臨床」 著:竹中星郎 より一部引用・・
老年者の診療に当たって患者の知的水準がどの程度であるか、障害されているか否かは重要な問題である。
しかし医師が知りたがるようには患者はその判定を欲していない。
一般に痴呆であると言われることを恐れていることによる。
まして「100ー7は」「今日は何月何日か」・・という小学校低学年の児童に対すると同じテストをされることは、できるできないに関係なく名状しがたい不快な体験であろう。
”子供に聞くようなことを尋ねて申し訳ないが、一応誰に対してもやっていることなので・・”とあらかじめ断ることで、患者の屈辱感はかなり薄らぐことが多い。
知能や性格に関する検査は個人の人格にかかわることで、本人の了解なしにしてはならないことである。
このように、若いスタッフからなんの断りもなく小学生に聞くような検査をされることは、認知症であろうとなかろうと誇りを踏みにじられるような苦い体験となりえます。
さらに、「今日は何月何日ですか?」という質問にもし答えられなければ、そんな小学生でもわかるような質問にさえ答えられない自分を相手にさらけ出すことになります。
これはとても受け入れがたい屈辱です。
前章でも述べましたが、認知症の方々にとってもの忘れとは、他人に絶対に見せたくない部分です。
検査をする際はお相手の気持ちに配慮し、
「小学生に聞くようなことをたずねて申し訳ありませんが、一応誰にでもやっていることなので・・」
と必ず断りを入れましょう。
これは配慮が足りずに数々の検査を行ってきた私もとても反省していることです。
覚えていないことはこちらから教えましょう
「今日は何月何日でしょう?」
と尋ねて答えられない場合、今日の日付はもう自力ではわからなくなっていると思っていただいて良いと思います。
どんなに思い出そうとしても、日付を頭にとどめておく能力(日付の見当識)自体が失われている場合は思い出すことはできません。
訓練だと思って、会うたびに今日の日付を聞く人がいます。
これは苦痛でしかありません。
日付がわからなくなっている方に今日の日付を尋ねることは、2つの苦痛を伴います。
- 日付さえわからなくなっている自分に向き合わなければならない苦痛
- 日付さえわからなくなっている自分を他人にさらけ出す苦痛
もし日付を聞くことが多少の思い出す訓練になるとしても、このような苦痛を伴ってまで毎回尋ねるのはご本人様にとって大きな負担だと私は思います。
それよりも、ご本人様と一緒にカレンダーを見ながら日付の確認をした方がストレスはありません。
カレンダーで季節を感じにくい場合は、一緒に屋外に出るのもひとつの方法です。
屋外ではカレンダーを見なくても季節を感じられるものがたくさんあります。
(例えば、紅葉や雪、桜のほかに暑さ・寒さなど。)
風景を見ながら季節を一緒に確認することで、季節を肌で感じることができると思います。
また、認知症がある方に
「私のこと、覚えてる?」
と尋ねる人をときどき見かけます。
これも、NGです。
会ってすぐに自分の記憶をテストされるのは、覚えていないご本人様からすれば大きな苦痛でしょう。
認知症の方と会う時は、記憶が失われていることを前提で
「こんにちは、○○さん。私は○○です。」
と自分から名乗りましょう。
そうすることで認知症の方も安心します。
まとめ
今日は、認知症の方へ「今日は何月何日ですか?」と尋ねてはいけない理由についてお話ししました。
・・今日のポイント・・
・認知症の方々の知られざる必死の努力
・抜け落ちた記憶をテストされる苦痛
・覚えていないことはこちらから教えましょう
認知症の方々は、自分にもの忘れがあること・自分の中の何か(もの忘れなど)が周りに迷惑をかけていることはわかられていて、強い不安を感じられています。
(ただし、自分の置かれている状況がわかりづらかったり、相手の気持ちを読むのが難しくなったりすることで、正確に何が原因で周囲が困っているのかはわかりにくい状況にあります。そのことから自分の失敗に対してそしらぬ態度をとってしまい反感を買ってしまうこともあります。このことはまた別の機会にお話しします。)
それに気付かれまいと、必死で取り繕ったりはぐらかしながら過ごされています。
検査や自己紹介をする際などは、認知症の方々の不安な心に寄り添っていただければと思います。
この記事が少しでもあなたと認知症のご家族の心に寄り添える材料となったら幸いです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
参考文献:書籍 「認知症とは何か」 著・小澤勲
書籍「老いの心と臨床」 著:竹中星郎